大腸がんは早期に検診していれば手遅れにならずに済んだケースが非常に多いにもかかわらず、検診率が低い理由の一つとして大腸内視鏡検査は痛みをともなうイメージがあるからです。
そこで、医師の大腸内視鏡の手技を向上させることができるように、今までのような実臨床の期間や数、属人的な手技の継承ではなく、その手技が可視化され、客観評価されるようになれば、医師における大腸内視鏡操作の手技レベルが上がることになります。つまり、シミュレータのようなデバイスがあれば、手技の練習・評価になるだろうと開発されたのが「mikoto」です。
今までの大腸内視鏡の手技は実臨床を重ねながら覚えていくのが通例でした。「mikoto」を使うと、病院によって手技のレベルにばらつきがあることが判ります。つまり、大腸内視鏡の技術が平準化されていないことを意味しています。
この大腸内視鏡シミュレータ「mikoto」を開発したのが、藤井医師が代表を務める鳥取大学発のベンチャー企業、㈱R0(アール・ゼロ)です。同社は、藤井医師、植木医師を含めて3名の鳥取大学の医師で立ち上げた企業です。総勢8名のスタッフが目指すのは「次世代医療技術を医師の立場・目線で開発すること」であり、AI等の技術を用いた、実臨床現場で活用可能な技術開発を行っています。
植木医師は藤井医師が学生の頃に出逢っています。2013年に、文部科学省の「イノベーションを生み出す大学院を全国10拠点開設する」という内容の助成事業に鳥取大学が選ばれました。その際、植木医師が行ったプレゼンの内容は、医療機器開発に積極的な藤井医師のような学生を育てる大学院のカリキュラムの設置でした。一般的に大学院は授業や研究を行い、最後に論文を書いて博士号を取得して卒業となりますが、鳥取大学では製品化したプロダクトを実際に医療現場で使用してもらう「製品化体験演習」というプログラムを付加しました。
藤井医師は植木医師の夢である「痛くない自走式ダブル内視鏡の開発」の話に共鳴して鳥取大学病院に入りました。
その後、この大学院コースを受講し、卒業後に藤井医師は起業家としてもスタートしました。専門の消化器系だけでなく様々な医療機器の開発に関与し、2020年から「mikoto」の開発に携わり、2023年6月に販売を開始しました。
鳥取大学での記者発表によって多くのメディアで紹介され、話題になりました。しかし、一般生活者ではなく医師を対象とした製品であるため、その普及には医療機器の販売会社や、大腸内視鏡メーカーなどに取り扱ってもらうことが重要です。ある意味これも一つの「壁」です。
プロトタイプが出来上がった段階で、認知度の向上のために全国、世界の様々な医療機器見本市や学会、大手医療機器メーカー主催の会合などに積極的に参加しました。学会などで大手大腸内視鏡メーカーと共同でプレゼンした際の医師の反応が、一番インパクトがありました。医師自ら発する「すごい!」は口コミ効果が抜群でした。
2023年6月時点で国内外あわせて120台が売約済みです。国内販売価格は約200万円、海外は約300万円になります。国ごとに異なるニーズに応じて機能をカスタマイズするなどの手間もかかるため、国内販売との価格差が生じます。
また、大腸内視鏡挿管時の事故率は海外に比べて日本が圧倒的に低く、日本の内視鏡は高品質な医療機器というイメージが海外には根付いています。その世界シェアは7割を占めていることからも、「mikoto」が海外で導入される可能性は大いにあると思っています。政府系の団体も「mikoto」に関心を持っていただいているので、今後販路が拡大することが期待されます。
製品化で苦慮したポイントの一つは小型化でした。「mikoto」は軽量(8kg)で、コンパクトサイズ(外寸:W417mm×D232mm×H323mm)です。
海外への持ち運びが容易であること、腸管挿入時のリアルな感覚、正確なデータを収集し、評価するシステムが必要でした。これらをバランスよく一つの機器に収めることが難しく「壁」を感じましたが、ワクワクする「壁」でした。同時に流通しやすくするために、コストを抑えること、そして、故障しにくいようにシンプルな設計を目指しました。こうして、(株)R0のスタッフをはじめ、鳥取大学のプロジェクトチームメンバー、他大学の関係者、メーカーや販売会社など、多くの方々の応援・協力によって「壁」を「扉」に変えることができました。
医師の手技を評価することへの是非もありますが、「mikoto」によって医師の手技レベルを平準化し、多くの患者を救うことにつながるものと考えております。
世界中で利用された手技データはクラウドに蓄積され、ビッグデータとして活用する取り組みなども考案中です。
「mikoto」は医療機器ではなく、雑品として販売しています。医療機器登録には非常に時間と費用を要するため、あくまでも医師の教育ツールという扱いです。安価にできるだけ多くの医師に活用してもらい、医師の手技レベルを上げることを考えますと、当面は、費用も時間もかかる医療機器登録をしないことが賢明であると考えています。
医療機器開発において、世の中のトレンドを読み取りつつ、着想→開発→製品化→上市までのスピード感と、綿密なマーケティング計画が重要です。医師として自分たちが求める社会のあるべき姿の実現に向け、患者との実臨床で感じる課題をAI技術なども積極的に活用して解決していきたいと思います。今後は医師の技術レベルをあげる「医療教育」分野にフォーカスしていきたいと考えています。